【創作】魔法少女その後

 居間に掃除機を掛けていると、背後から娘の声がした。
「ママ、この子飼ってもいい」
 振り返ると、外遊びから帰ってきた五歳の娘、結麻が段ボール箱を胸に抱えていた。
「そんなもの、どこから持ってきたの」
「家の前に置いてあった。ねえ、飼ってもいいでしょ」
「困った子ね。パパが猫アレルギーだから、うちでは猫は飼えないって前にも言ったでしょ」
「猫じゃないもん」結麻は口を尖らした。
「じゃあ犬なの」
「ううん」首を横に振った。
 私は掃除機を止めて、ホースを壁に立てかけた。
「ちょっと見せてごらん」
 段ボール箱を覗き込んだ私は、もう少しで悲鳴を上げるところだった。白いウサギに似た生き物が、赤い眼で私を見つめて、こう言ったのだ。
「やあ、久しぶりだね」

 私はかつて魔法少女だった。魔法のステッキを使って変身し、世の中の悪を懲らしめていたのだ。でもやがて、そんな戦いの日々に疲れ果ててしまい、魔法少女を引退したいと申し出た。
「それは契約違反だよ」
 ウサギに似た白い生き物、ジュウベエはそう言って、私の願いを一蹴した。そのとき私は自分の部屋のベッドに腰を下ろし、ジュウベエは本棚の上から赤い眼で私を見下ろしていた。普通の中学生だった私の前にある日突然現れて、魔法少女になるよう契約を迫ったのが、このジュウベエだった。
「契約に違反したらどうなるの」
「恐ろしい罰を下すことになるね。僕にそんなことをさせないでくれたまえ」
 見た目の可愛さと裏腹に、ジュウベエには冷酷な一面があることを知っていた私は、その言葉に震え上がった。
「ねえ、私はもう充分戦ったでしょ。だれか別の女の子をさがしてよ」
「駄目だね。君ほど魔法少女の適性がある女の子は滅多にいないんだ。契約通り、君が18歳になるまでは魔法少女を続けて貰うよ」
 とてもそんなには待てなかった。
「そう、なら仕方ないわ」
 私はベッドから立ち上がると、魔法のステッキを振って変身した。そして、魔法の力を使ってジュウベエを殺したのだ。
 そう、確かに殺したはずなのに。
「生きていたのね」段ボール箱の中から私を見上げているジュウベエに、私は言った。
「生き返ったのさ。ここまで回復するのに、ずいぶん時間が掛かったけどね」
 あのとき私は、ジュウベエの死体を細かい肉片に切り刻んで、トイレから下水に流したのだ。ジュウベエが死んだことで魔法の力を失ったステッキは、燃えないゴミの日に捨ててしまった。
 普通の日常を取り戻した後も、私は長い間、罪悪感に苦しめられていた。戦いの日々に心が荒んでいたとはいえ、私はなんて酷いことをしてしまったのだろうと。でも大人になり、恋をして結婚出産、そして子育ての毎日に追われているうちに、いつしか自分が魔法少女だったことすら、今の今まで忘れていたのだ。
「ママ、どうしたの」結麻が怪訝そうに私の顔を覗き込んでいた。
「えっ」私は言葉に詰まった。この状況をどう説明すればいいのだろう。
「大丈夫。僕の声は君にしか聞こえてないから」
 ジュウベエがそう言ったので、私は少しほっとした。
「台所におやつがあるから食べてきなさい。この子はここでママが見ててあげるから」
 私は結麻から段ボール箱を受け取った。
「飼ってもいいの」
「それは後で考えましょう。ほら行って。ちゃんと手を洗いなさいよ」
 結麻が居間から出て行った後、ジュウベエは段ボール箱から飛び出して、床に降り立った。
「あの子は君に似て、魔法少女の素質があるね」
「あなたまさか、あの子を魔法少女にするつもりじゃないでしょうね。結麻はまだ五歳なのよ」
「僕がサポートすれば、五歳でも充分、魔法少女としてやっていけるさ」
「冗談じゃないわよ」私は憤然として言った。「結麻にそんな危ないこと、させられるもんですか」
「君は契約に反して、勝手に魔法少女をやめた。だから君の娘である結麻ちゃんには、その埋め合わせをする義務があるんだよ。契約書にも、ちゃんとそう書いてあったはずだ。だから、こうやって君の家を捜し出して、会いに来たんじゃないか」
「知らないわよ、そんなこと」
「じゃあ、どうするんだい。もう一度僕を殺すつもりかい」
「ああもう」私は身もだえした。「いったいどうしたらいいの」
 しばらく沈黙が続いた後でジュウベエが、ぼそりと言った。
「他に契約を果たす方法が、ひとつだけ、あるにはあるけど」
「その方法なら結麻を魔法少女にしなくて済むのね」
 私は勢い込んで尋ねた。
「うん。まあね」
 なんだか気乗り薄そうにジュウベエは頷いた。

 そういうわけで私は今、再び魔法のステッキを振るって、この世の悪を懲らしめている。
 人は私のことをこう呼ぶ。魔法熟女、と。